天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。、、、太陽は、、、その上るのは、天の果てから、行き巡るのは、天の果て果てまで。その熱を、免れるものは何もない。詩篇19:1,5,6
先日、イギリスの庭(イングリッシュ・ガーデン)の中でも、ローメンテナンスの庭づくりで有名なベス・チャトーさんの映像をテレビで見ました。ベスさんはイングリシュ・ガーデンに咲く草花の美しさに魅了された一人です。ローメンテナンスとは、ひとつ一つの植物への管理に手間がかからず育てることができる、、、そのような庭づくりをローメンテナンス・ガーデンと言うそうです。ベスさんの住まいはイギリスでも極めて年間雨量が少なく乾燥した地域にあり、植物を育てることが大変難しかったそうです。そこで、Right Plant,Right Place(土地にふさわしい植物を、ふさわしい場所に)の考えでもってベスさんは乾燥に強く、また渇いた土壌にも適応する植物を徹底して集めて庭づくりしたそうです。 ベスさんの庭づくり(植物)への考え方は独特で、庭の植物には水をあげない、、、神様が雨を降らせ、植物の命を養い、同時に、植物も土地に適応して強くなるという考えがありました。考えてみたら、わが家の庭も水をあげたことがほとんどありません(笑)が、結構、庭木って育つものですね。
さて、きょうの詩篇19篇は、ダビデが書き記したものです。1~6節には天地宇宙を造られた創造主である神の素晴らしい御業についてダビデが証ししています。1節にあるように、「天」とは夜空のことであり、「大空」は昼に見える空のことを指しています。ダビデは羊飼いの経験があります。昼には羊を丘に導き、夜にはきっと羊の夜番をしたことでしょう。夜空を見上げれば満天の星。ダビデもアブラハム同様、ないところから「有るもの」を生じさせる神の御業に思いを馳せたことでしょう。彼は、神が造られた太陽を見て、神のあわれみ深い寛大な心を感じたようです。太陽の、いつも変わらない動きを見て神からのご愛・恵み・励ましを示されたダビデは、敵にねらわれて窮地に陥っていたのでしょうか。しかし、神による変わらぬご愛・あわれみを(いつもと変わらぬ動きをする)太陽の中に見出したのです。新改訳では「その熱を免れるものは何もない」と訳していますが、口語訳では、「誰もが太陽の暖まりの恩恵にあずかっている」……と訳しています。神様の恵みは、昼の太陽の暖まりのように、誰であってもあずかることができるのです。
新約時代である今、神様の恵みは誰にでも注がれています。その神の恵みとはイエス・キリストですね。イエス様は「すべての人を照らすそのまことの光」(ヨハネ1:9)です。そのイエス様が「悪いことをする者は光を憎み、その行いが明るみに出されることを恐れて、光のほうには来ません。」(ヨハネ3:20)とも仰いました。私たちは自分の恥かしい姿や行いが人前で明らかにされたら恐ろしいでしょう。しかし、神の御前であるならば大丈夫です。なぜなら、神はすべてご存じだからです。あなたが神に悔い改め、あなたの罪の身代わりに十字架で死なれたイエス様を見上げるならば、神はその罪汚れを赦してきよめてくださいます。この神の恵みを信頼して、神様の光のもとに出て参りましょう。
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