「わたしは、よい牧者です。よい牧者は羊のためにいのちを捨てます」ヨハネ10章11節
羊とは何でしょうか。寒い時に羊毛のセーターやマフラーなどがあれば、暖かくなりそうです。しかし、ある地域では羊はただ羊を提供するためだけではなく、生活の中に不可欠な存在なのです。イスラエルはそうした地域のひとつです。特に過越しの祭りを守るために、羊を用意しなければなりません。その理由で聖書の中に羊に関わる箇所がいくつかあります。
有名な詩篇33篇は牧者と羊との関係を生き生きと描写しています。その詩篇の著者であるダビデ自身は王様になる前に牧者だったのです。
「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです」(詩篇23:4)
牧者が一緒にいるなら、羊は安心できるということをダビデはよく知っていました。なぜかというと、羊のためにダビデは獅子や熊と戦ったことがあるからです。ジョサンはヨハネ注解書の中にこのように説明しました。ある牧者は羊を守るため、三人の強盗と戦って死んでしまいました。雇い主は違います。危険がある時羊を捨てて自分は逃げました。そうしたら、私たち罪びとのために完全に命を捨てたイエス様が確かに良い羊飼いと言えるでしょう。
良い牧者について、助産はまたこのような説明をしています。親しくなるため、ワンちゃんや猫ちゃん等のペットに名前をつけるように、中東地方の牧者は一匹一匹の羊に名前をつけます!ジョナサンに頼まれたある牧者は一匹の羊の羊の名前を呼んだとたん、その羊は嬉しくて群れから離れてその牧者の前まで走り寄りました。またそれぞれの牧者は自分のなりの声を出すと、同じ囲いからの羊は自然に別々の声に従って別れました。牧者は名前によって一匹一匹の羊を知るように、羊もよく自分の牧者の声をはっきり覚えます。知らない人がどんなに呼んでも羊は下がいません。こうして、良い牧者であるイエス様は愛をもって私たちのそれぞれの名前を覚えています。また、イエス様の愛をいただいている私たちもその優しい声を区別することができるのです。
また、牧者は羊のためにどこか良い牧場があるのかを確認して、そこに彼らを導きます。詩篇23:1はこう言います。「主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません」そして、イエス様もこうおっしゃいます。「わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです」(ヨハネ10:10)というのは、良い牧者であるイエス様はいつも私たちが豊かな命を得るために、私たちを導いてくださっているのです。羊が自分の牧者にすっかりついて行くように、私たちも自分の良い牧者であるイエス様について行きましょう!
アグネス インターン生
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